あのころ私が恐れていた2つのこと

脈絡もオチもない文章。

 

青春時代とか、ロスジェネとかほっとんどよく分からないけど、

私自身は何か青春時代にあるべき色々なことを経験してきてないような気がすることがある。

 

よく「人生損してるよ」ってツッコまれたのは、

ポケモンのゲームをレッドまでしかやってないこととか、

大学生に入るまで、ジブリはトトロと千と千尋しか観たことないこととか、

セーラームーンとか観たことないこととか

 

結構ツッコまれてたなあ。

話題についていけない劣等感とか、そう言われること自体の悔しさとか合間って、結局ジブリは大学4年間かけてほぼほぼ観きったと思うけど、

それでも観たいから観たってよりかは、観なきゃいけないから観たって感じかなあ。

 

振り返ると、当時私が恐れていた2つのことと関係があるように思う。

それは、「なにもしない時間」と「失敗」。

 

小学生時代は週に8つ習い事してた。

土曜日だけで3つ。月曜はかろうじてなにもない、みたいな。

当時はただやりたいからやっていたっていう気もするけど、

いつからか(それともその時からそうだったのかもしれないけれど)、

それは「何かやっていないといけない」という強迫観念に変わっていた気がする。

「何かやっていないと」それも「すごいこと」をやっていないと評価されない。

だから、ただ映画、ゲーム、漫画そういうものに時間を使うことがほとんどなかった。

昔から周りの評価をすごい気にする子だったなあ。

 

あとは「失敗」。

失敗することを極端に恐れていた。

先に進めば後には戻れないと思っていた。

上に上がれば下には下がれないと思っていた。

だから違和感があっても、違うと思っても、

引き返すという選択をしたことはほとんどなかったと思う。

たとえそれが良いと分かっていても。

「失敗」=「暇になる」だったのかもしれないなあ。

 

まあ、私自身は今そうやって論理づけてるけど、

実際は全くこの2つは関係ないのかもしれない。

単純にゲームや映画や漫画をする環境がなかっただけかもしれないし、

個人的に興味がなかっただけかもしれないし、

失敗したって暇になんてならなかったかもしれない。

 

要はなにが言いたいかというと、

何にもすることがないような時間にただただ漫画とか本を読んで過ごしたり、

映画を見たり、

失敗したりすることで人は自分自身を深めていくんだろうなってこと。

洞察が深くなって、経験値がついて、それがその人に魅力になる。

 

中学・高校の頃の自分に、

そんなに恐れなくていいよ。なにもしていなくてもあなたは愛されているし、

失敗したらしたでそれはいいことあるよって伝えてあげたい。