ぐうせいろん?

一番仲良くしている男友達に、

女の子の「ぐうせいろん」は敵わないって言われたことがある。

 

ぐうせいろん = ぐうの音も出ないほどの正論

 

らしい(笑)

 

主に恋愛の文脈においての言葉だったけど、

そんなこと分かってるんだよ、分かってるけどできないんだよ、ってことを真っ当に指摘されると腹が立つと(笑)

 

最近読んだ本で、

”言い方を考えない「正論」はクズコミュニケーション"

って書いてある本があって、

ああ、その通りなんだろうなあ、って、その男友達の言葉とも重なって納得がいった。

 

正論がいいのなんてみんなわかってる。

でも、できない、やれないのが私たちで、

その上でどう伝えるか、関わるかを考えるのが良いコミュニケーションだろうなあ。

それは私たちの不合理性を認めることで初めて成り立つ。

 

男友達にその言葉を言われた時は、

正論は正論で、言って然るべきみたいに思ってたんだけど(笑)、

今思うと正論を振りかざせるってある意味それだけ周りの人が気を遣ってくれてるってことなのかもしれないと少し思った。

 

「正論」って、

「私は間違ってませんよ、あなたが間違ってるんですよ」

って押し付けてるような感じよね。

自分が弱者というか、立場が弱くて、いじめられているというような構造を連想させる。

 

自分だけが弱者にならないし、相手だけを弱者にしないし、

お互いが対等なんだって意識のコミュニケーションが大事なんだろうな。