手を合わすこと

禅の世界では、左の手は自分自身、右の手は相手らしい。手を合わせることは自分と相手を合わせること。

今朝は早起きをして、近所の神社へ足を運んだ。
初詣すら今年はいかなかったのに、社の前で手を合わせてみた。
そして境内をぐるりと一周。
祀られている神々の名。
そびえたつ木々。
こんなに近くにあるのに、
自分自身とは断絶されていた。
こんなに近くにあるのに、
この土地に根付いていないように感じる。

毎朝手を合わせて、この地と先祖に感謝をすること。
人との繋がりを感じること。
心が豊かになること。

ただのバイトでも目の前のことに囚われて
自分が本当に大切なことを失いそうになる。
ストレスに身を支配されて、
コントロールを失う。

失わないように。
やりたいこと。大切にしたいこと。
先祖、地とのつながり。
心地いい、気持ちいいと感じる気持ち。

Let us not take this planet for granted

Leonardo DiCaprioのオスカー受賞スピーチ。

正直、レオ様は名前と顔を知ってるくらいで、彼が出演してる映画もオスカーのこともよく知らないけど、

こういうことをいってくれる人がいるんだってことに驚いた。

と同時にすごい勇気をもらった。

やっぱり、big companyとかに声を上げる人が目立つ世の中だけど、

目立たない、声をあげてないけれど、all humanityのために戦ってる人を見てくれる人がいる。

彼みたいな人が発言することに影響力は計り知れない。

自分も、humanityのために戦える人に、雑音に押しつぶされないように、

行動していく。

【食】田んぼ、食を生み出す側になるということ

原体験としての食の再考:菊地晃生さん

taberutimes.com

 

心に刺さる言葉がたくさん。

 

”いきもの界の自然世界を見るとき、くの字型に腰を曲げて土と対面し続ける日々の労働は、人間としての本質的な姿ではないかとさえ思え、満たされてくる”

 

”草々虫々と意識を共有しあい(共奏)、食べることとつくることの身体感覚を取り戻し(共想)、豊かな未来デザインのアースワークとして(共創)手を取り合いながら、都市居住者へと農村の空間を開いていく必要があるのではないか”

 

”百姓は統合的な能力のことを言い、社会に依存する側ではなく社会を創造する側となるような力強い生き方ができる”

 

 

土に触れることは、自分を支えている自然、そして自分に繋がっている祖先と触れるということ。

こうした感覚が、本当に大切だと思う。特にこれからの時代。

今までが土から離れてくる時代だったとしたら(主に産業革命の時代から)、

同じくらいの時間をかけて、今度は土に帰っていく時代が必要なのではないか。

私は、そんな時代であって欲しいと思うし、「人間」である以上、それが必要だと思う。

 

 

私がやっていきたいことはまさにこういうことなんだろうな

「おとまち」プロジェクトとかもあるけど、田んぼで作業してれば自然と音楽が生まれる。踊りも生まれる。全ては自然と人との共生の産物なのではないかと思う。

とりあえずできる範囲で、土と触れ合う。